銭湯ナイト

東京銭湯ナイトという銭湯ファンの集まるトークイベントに行ってきました。なぜサウナーの私が銭湯のイベントに?と訝しむ向きもありましょうが、近所の仲間で、この銭湯ナイトは第一回から全出席しているという筋金入りの某氏が仕事の都合で行けなくなったとのことで、当方にお鉢が回ってきたというわけです。

かく言う私、その昔は学生寮の真ん前が銭湯だったことや、風呂無しのアパートに住んでいた時期もあり、銭湯経験はそれなりではありますが、銭湯に深入りするほどハマったことはかつてなく。

そんな私が、今やサウナには三日にあけずいそいそと出掛け、会う人ごとにサウナの魅力を熱く語る立派なサウナーになってしまいました。私は如何にして銭湯にはハマらずサウナにハマるようになったのか?

さて銭湯ナイト。登壇する銭湯マニアたちの体験談を聞いていると不思議な感じがします。一度ハマると毎日通いたくなる習慣性、わざわざ泊まりがけで遠方まで出かけてしまう…あるある、そういうこと、と頷いていると、え、それは違うよな、という話も出る。

銭湯とサウナは、似ているし、重なるところもあるけど、違うところもあります。言ってみれば、プロレスと総合格闘技の違いみたいなものでしょうか。ま、どちらにも興味のない人には、同じようにしか見えないかも知れませんが。

身体的な感覚、反応という点では、銭湯もサウナも通じるものがあると思います。多分それが習慣性に繋がったりもする。

ただ、銭湯ファンによくある考現学的、地理学的な志向、例えば意匠や建築様式のあれこれを地域性と絡めて論じる趣味や、古い建物をありがたがるレトロ趣味は、サウナーにはあまり見られない気がします。思うに、銭湯はおそらく日本発祥のもので、それゆえに各地の気候風土に対応して土着化しているのに対して、サウナには本場フィンランドのオールド・スモーク・サウナという共通の参照項があるからでは?また、日本における近代サウナ受容の歴史も土着化するほど深くはないからでは、と愚考したりしています。

もうひとつ、銭湯好きにあってサウナーにないのは、コミュニティー志向でしょう。初めての街の銭湯で地元のおっちゃんおばちゃんと言葉を交わす楽しみを銭湯好きは語ったりしますが、正直私は、サウナの中で知らない人から話しかけられたくないです。サウナで洗練されたマナーや所作の人を見かけると、この人やるな、と静かに感心することで十分です。

この日、ライターの小野美由紀氏は銭湯での出会いを通じて社会性を回復した体験を語っていましたが、むしろサウナ体験は、既存の人間関係のしがらみから一時的にせよ切り離されるところに意義があると言えるでしょう。やや模式的ではありますが、社会と繋がるのが銭湯なら、自然と繋がるのがサウナと言えるかも知れません。

…と、この駄文もサウナでものしている次第。

コメントを残す